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初代師範 和泉義光

 先ずは創立50周年を迎えること、誠に御同慶の極みであります。この50年の幕開けの時期に私も東海大二高空手道部の歴史の中に居たことを本当に誇りに思います。
 私が東海大二高空手道部にご縁が出来たのは、野添昭男師範(空心会創始者)と緒方敬之師範(空心会理事長)の指名を受け、桃原先生にお会いしてからが始まりであった。

当時の東海大二高の校長先生の中村昌信先生は、私が熊本高校時代の校長先生でもあり、何か非常に親しみを感じました。昭和41~2年頃のことだったと思います。熊商大卒業後2~3年の若干24~5才の駆け出しの指導員でありました。
当時の同好会だったか部だったかは覚えていませんが、主将は藤川君でありました。その次が現OB・OG会長の福田秀高君が主将となり、毎日かなりハードな練習をさせた記憶があります。良くキャプテン以下部員が皆ついてきたと思います。
その成果は緒方先生の御世話で初めて出場した鹿児島での九州大会での戦績でした。
団体戦ベスト8、特筆すべきは個人戦で主将福田君がチャンピオンになったことです。この福田君の九州大会での優勝という結果は、その後の彼自身の大きな自身となったことは勿論のこと、部員の皆にも自分達のレベルはこんな高いところにあるんだとの自覚につながり、以後の練習にも一段と身が入り部創立期の礎が出来上がりました。

 その後、桃原先生と私が監督を辞するまでの11年間、チームを率いて九州各地を転戦しましたが、あまり敗けた記憶がなく、東海大二高の第一期黄金時代だったのかと、後になって思ったことでした。

 話は戻り、福田君は卒業後日体大に進学し、活躍、キャプテンで卒業後は福岡の九州産業大学付属九州産業高校の教員となり、数多くの生徒を育て上げ、九州高体連の専門部長や福岡県空手道連盟理事長も勤めたことは皆さんご承知のとおりです。

 

 さて、その後に続いたのが前田利明君である。
彼は東海大本学に進み空手道部で活躍、社会人となっても向うに残り大学のコーチ、監督をやり、彼自身、世界大会にも出場するようになり、とうとう世界のチャンピオンになったこともまた皆様御承知のとおりであります。
彼は今も大学の監督であり、私が全国大会に行くと大抵私を見つけ、先生お元気ですかとあいさつに来てくれます。今思い出しても高校時代の彼に既にその片鱗が見えていました。とにかく人一倍稽古をし、またその気性の荒さというか、ファイト・気迫は並外れたものがありました。

 私が監督として、東海大二高最後の教え子は、森野修二君が主将を勤めた時代で、夏合宿を天草の姫戸で行ったことを思い出します。
森野君は基本練習を大切にし、じっくり稽古した成果は彼が東海大学熊本キャンパスの空手道部主将をつとめあげ、社会人となり地元で当時日本でもトップレベルにあった空心会の面々との厳しい練習を重ねた後に出場した、全空連九州地区大会での最重量級での四連覇達成は特筆すべきことだと思う。
この大会の都度、森野には精神的に暗示を与え、お前は本当に強い人だから自信をもってやって来いと!!すると気の優しい森野が、鉄人みたいな戦いを行い、見事4回も優勝を成し遂げたのである。

 私の東海大二高の監督は森野君の時代までで、後は県外勤務が続く国家公務員であったため、距離的に出来なくなり、先生方とも相談し、人格・識見とも非常に優れた宮本史朗君にバトンタッチした次第であります。
 いずれにしても東海大二高空手道部は桃原先生により立ち上げられ、数多くの優秀な人材を輩出できたのも、一重に先生の優しさの中にも、空手に対する溢れるばかりの情熱と空手道には非常に厳しい姿勢を貫く強い意志をお持ちであったからだと思います。
 この50年に及び歴史を刻み、確固たる伝統を築いた母校(今ではそのような気持である)の今後ますますの活躍・発展を永久に願い、筆を置きます。

平成26年1月1日

 

東海大二 空手道部の歴史メニュー 50周年記念の模様 50周年記念の模様

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