お知らせ

東海大学付属熊本星翔高等学校 空手道部OB・OG会トップ > 50周年に向けて

福田秀高

 母校の空手道部創部50周年を迎え、この慶びを桃原先生を囲み、当時からご尽力下さった方々と共に、お祝い致したいと思います。
 高校時代を思い出すと、幼少の頃から負けず嫌いで何事にもチャレンジ精神の強かった僕は、入学して間もなく空手道部に入部しました。
当時は同好会で中国拳法が沖縄に伝わった唐手からでしょうか、桃原先生は唐手部と呼ばれていたと思います。
 さて、入部してからの僕はどんなに辛く、厳しくとも自分で選んだ道ですから、毎朝放課後の練習を楽しみにしていました。練習が遅くなっても寮母さんが優しく迎えて下さった事に人の心の温もりを感じていました。
やがて入部してから1ヶ月たった5月の市内大会に先輩の1人が来ていないので、突然と桃原先生の一言!僕に「試合に出なさい」と。 ム・ム・ム・・・・未だ入部して1ヶ月しかやっていないのに!突き技しか出来ないのに!でも「出なさい」と言われれば「イヤです!」と言えない!仕方なしに道衣に着替え団体戦の1人として出場する事になりました。
自分の順番が来る前までに考えたことは、構えたら左前拳を相手の顔面に突き出した時、拳を開き、目隠しした瞬間、右中段突きをすることでした。
前の先輩は負けて、僕の番です。速攻作戦は成功し技あり!続いて技あり!と初勝利をあげる事ができました。この体験がキッカケで益々空手道の活動が楽しくなりました。
 夏の合宿は天草の倉岳町で参加者20数名でしたが、2日目の朝起きたら3~4人しか居ません。先輩方は厳しい合宿を諦めて、朝一番の船で帰ってしまったのです。残った者だけで合宿は続きました。当時の僕は厳しさと言うものを体験していなかったのでこの位は当たり前だとしか感じなかったのでしょう。やり遂げる事が出来ました。
 2年生になって秋の九州大会(鹿児島)に参加する事になりましたが大会前に和泉先生より組手の指導を受けましたが、先生から「これだけの元気があれば良し!」と言われ、大会に挑みました。 ~試合中、足の怪我で随分痛みを感じましたが、空手ではその位は当たり前と思っていたので言葉に出しませんでした。結果は個人戦に優勝することが出来ました。
この喜びをもとに、日本一を目指し、日本体育大学に進学、そして卒業後は高校の体育教師になれましたが、ふり返ると空手道を選んだおかげで随分空手道関係の方々に僕は支えられてきました。

 おかげ様で64歳の僕にも「我が人生に悔いはなし」と言えるようです。
今迄、母校空手道部の活動にご尽力下さった方々に感謝を申し上げ、今後も宜しくお願い致します。

 

東海大二 空手道部の歴史メニュー 50周年記念の模様 50周年記念の模様

このページの先頭へ戻る